2017年度合格へのこの一問 作文問題編⑤

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作文問題編⑤ 視点を変えて見てみると その1

執筆・早稲田進学会(大島茂) イラスト・青山ゆういち

私たちは、日々、テレビや新聞などのメディアを通して世の中の出来事などを情報としてキャッチしています。しかし、その情報が伝えられるものごとのすべてを表しているといえるのでしょうか。少し観点を変えて考えてみましょう。

20161110_05私たちは、テレビや新聞は公的なものと思い、ついつい、それが提供する情報を、客観性があり正しいものとして、それにもとづいて自分の考えを作ったり、善悪などの判断を下したりしてしまいます。しかし、情報のもととなるものごとは客観的な事実であっても、それを取材報道するにあたって、そこに各メディアの「とらえ方」(映像の映し方、写真の撮り方、記事の書き方など)という主観が入り込んでいることに注意が必要です。このことから、ものごとを一面から見るのではなく、ちがった面からも見てみることの大切さを考えてみましょう。

20161110_02次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。

 「森さんはヤラセをやったことはありますか?」と時おり訊ねられる。そんなとき僕は、その質問をした人が、どんな意味でヤラセという言葉を使ったのかを訊き返すようにしている。

 事実にないことを*捏造する。これがヤラセだ。その多くには、みんなから注目されるとか評判になるとかの見返りがある。ただしここまで読んでくれたなら、その判定は実は簡単ではないことは、あなたもわかってくれると思う。事実は確かにある。でもその事実をそのまま皿に載せても食べづらい。というか皿に載らない。だからみんなが喜んで食べてくれるように調理をする。切り刻む。余分だと思えば捨てる。これが演出だ。

 ヤラセと演出のあいだには、とても曖昧で微妙な領域がある。そんなに単純な問題じゃない。でも報道したりドキュメンタリーを撮ったりする側についてひとつだけ言えることは、自分が現場で感じとった真実は、絶対に曲げてはならないということだ。そして同時に、この真実はあくまでも自分の真実なのだと意識することも大切だ。同じ現場にいたとしても感じることは人によって違う。

 つまり胸を張らないこと。負い目を持つこと。

 メディアやジャーナリズムにおいては、これがとても重要だと僕は考える。自分は決して客観的な事実など伝えていない。自分が伝えられることは、結局のところは主観的な真実なのだ。そう自覚すること。そこから出発すること。だからこそ自分が現場で感じたことを安易に曲げたり変えたりすり替えたりしないこと。

 たった一つの真実を追究します。

 こんな台詞を口にするメディア関係者がもしいたら、あまりその人の言うことは信用しないほうがいい。確かに台詞としてはとても格好いい。でもこの人は決定的な間違いをおかしている。そして自分がその間違いをおかしていることに気づいていない。

 真実はひとつじゃない。事実は確かに一つ。ここに誰かがいる。誰かが何かを言う。その言葉を聞いた誰かが何かをする。たとえばここまでは事実。でもこの事実も、どこから見るかで全然違う。つまり視点。なぜなら事実は、限りなく多面体なのだから。

   ( 中略 )

 動物のドキュメンタリーを例に挙げよう。アフリカのサバンナで、子供を3匹産んだばかりの母ライオンがいる。ところがその年のアフリカは記録的な*干ばつに襲われていて、ライオンのエサである草食動物がとても少ない。( 中略 )

 このままでは家族全員が餓死してしまう。母ライオンは今日も、弱った足を引きずりながら狩りに出る。もしも今日も獲物を発見できなければ、子供たちはみんな死んでしまうかもしれない。そのとき母ライオンは2匹のトムソンガゼルを発見した。大きなほうは無理でも小さなほうならば、弱った自分の足でも捕まえることができるかもしれない。

 母ライオンはじりじりと、2匹のトムソンガゼルににじり寄ってゆく。その場面を観ながらあなたは、何を思うだろう。( 中略 )

 ここで場面は変わる。今度は群れから離れてしまったトムソンガゼルのドキュメンタリーだ。干ばつで草がほとんどない。母親と生まれたばかりのトムソンガゼルは、サバンナを長くさまよいながら、必死に草を探し求める。やっと草を見つけた。2匹は無心に草を食べる。その時カメラのレンズが、遠くからじりじりと近づいてくる痩せ細った雌ライオンの姿を捉える。その視線は明らかに、子供のトムソンガゼルを狙っている。

 この場面を観ながら、あなたはきっと、早く逃げろと思うはずだ。早く気がついてくれ。今なら間に合う。あの凶暴なライオンから逃げてくれ。

 これが視点だ。どちらも嘘ではない。でも視点をどこに置くかで、世界はこれほどに違って見える。

  ( 中略 )

 さまざまな角度の鏡を貼り合わせてできているミラーボールは、複雑な多面体によって構成される事実と喩えることができる。でもこれを正確にありのままに伝えることなどできない。だからメディアは、どれか一点の視点から報道する。それは現場に行った記者やディレクターにしてみれば、事実ではないけれど(自分の)真実なのだ。

 視点を変えれば、また違う世界が現れる。視点は人それぞれで違う。だから本当は、もっといろんな角度からの視点をメディアは*呈示するべきなのだ。

(出典『たったひとつの「真実」なんてない メディアは何を伝えているのか?』森達也・ちくまプリマ―新書・一部改編)

*捏造する…本当ではないことを、事実であるように作りあげること。 *干ばつ…長く雨が降らないこと。 *呈示…相手に分かるように、差し出して、見せること。

〔問題〕文章――部で筆者は、「視点をどこに置くかで、世界はこれほどに違って見える」と述べている。視点を変えることで、違った見方ができたあなたの体験を、あなたがその時にどのように感じたかを含めて、四百字以上四百六十字以内で書きなさい。

20161110_03 事実は一つである。しかし、事実は、限りなく多面体なので、どこから見るかでその見えてくるものが全く違う。例えば、衰弱した子がいる母ライオンがガゼルを襲うという一つの事実も、どちらの視点から見るかにより、世界が全く違って見える。このように、視点を変えることで、違う世界がそこに現れる。視点は人それぞれで違うので、いろいろな角度でものをとらえていくべきだ。

20161110_04講座生の解答例をあげ、合格答案のポイントを解説します。自分なりの答案を書いておこう。

【朝日小学生新聞2016年9月7日 掲載】