From灘「気持ちを考える」を考える

国語を学ぶ生徒は、よく「登場人物の気持ちは本人にしかわからないはずだ!」という主張をします。物語文で気持ちの説明を求められて、うまくいかなかったときにこのように考えたことはありませんか?

こういう主張はぜひ大切にしてください。問題意識を持てる生徒は、少なくとも何も考えずに受け身で勉強する生徒より、はるかに国語という教科に向きあっているといえます。心にうかんだ問題意識は、新しい疑問を生みます。「じゃあ、自分の気持ちは本当にわかるの?」「ドラマや映画で感動するのはなぜ?」「人間はどうして手紙を書くの?」などです。

手紙の例にも通じますが、歌人や俳人はどうして短歌や俳句をよむのでしょうか。気持ちが他人に伝わらないなら、和歌などをよむ必要もないはずです。きっと「伝えたい・伝わるはずだ」という思いを持ちながら、「どうすれば伝えられるか」を考えたはずです。そして、あれこれ手をつくすなかで、一つの言葉に複数の意味を持たせる掛詞のような「こう解釈してね」という言葉のルールを生み出してきたのです。

国語の物語文にも、日本人が代々受けついできた「解釈のルール」というものがあります。作者は形のない気持ちを風景に重ねたり、行動で表したりしながら、ありとあらゆる手で描こうとします。国語は、そうした表現のきまりをふまえて、人物の言動や起こった出来事を分析し、「こうとらえることが適切だ」という解釈を導いていく教科なのです。

【朝日小学生新聞2019年4月12日 掲載】