From灘 「作品を理解する」とは

「作品を理解する」とは

20160809_02国語の教科書には、さまざまな作品がのっており、みなさんは国語の授業を通じてそれらの作品と向き合います。しかし、はたして作品の世界は、教科書にのっている本文を読み解くだけでわかったといえるのでしょうか。

ある灘中生はこういいます。「教科書の作品は、その本文だけで理解できるものが選ばれているのだ。現に完結したものとして、テストにも出されているじゃないか」と。一方で、「教科書にのっている作品は、作品群の一つなのだから、他の著作も読まなければ良さはわからない」と主張する生徒もいます。さらには「作品が書かれた時代や状況を考えなければ、作品を理解したことにはならない」と考える生徒まで議論に加わります。

教科書の各単元には、たいてい著者の顔写真と経歴が後ろにそえられています。あれは何のためにあるのでしょうか。例えば『ごんぎつね』の読解に、著者である新美南吉の生い立ちや、著作の一覧表は必要でしょうか。もし必要なら、それはもはや歴史で、社会の授業であつかうべきものではないでしょうか。

「目の前の文章だけで作品がわかるの?」という問いから、国語の授業の本質を考える問いへ――。このように、一つの問いが、連鎖的に新たな問いを生みます。うかび上がった問いは、当たり前と思っていた世界をくずし、私たちに新たな世界をのぞかせてくれます。問いの積み重ねこそが、学びの原点なのです。

【朝日小学生新聞2016年6月19日(日)掲載】